今から五十年ほど前、私が小学校五年生の頃。まだ、出席簿は男子が先で女子が後など、男女共同参画や多様性のカケラもない時代の話である。
私の担任は、一般的な教育観とはだいぶかけ離れた教育を実践する「ちょっと変わった」先生だった。子ども一人ひとりの意見を尊重し、いろいろな考え方や意見を認めてくれた。「こうでなければならない」と決めつけたりせず、いろいろな視点を大切にすることを教えてくれた。障害があっても区別なく、同じ教室で同じように学び、生活することを当たり前とした。そのような日常の中から「それぞれの人間が、持ち味を活かし、生きて行けばいいんだ」という、強烈なメッセージを感じ取った。それから五十年、やっと時代が先生に追い付いた。この先生との出会いが私の原点である。
他にもエピソードは沢山ある。誰かが疑問に思うことがあれば、「討論会」と銘打つ会が始まり、納得するまで続く。これにより問題を解決する術が身に付いた。また、教室には「モヤモヤ書き」なるノートがあり、誰でもモヤモヤしている気持ちを匿名で書くことができた。それが討論会の議題になることもあった。時には大人社会のことも教えてもらった。当時「およげ!たいやきくん」という歌が大ヒットした。
♬毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ…♬ たい焼きに擬えたサラリーマンの心情に、多くの人が共鳴したとのことだ。高度成長期の男社会の厳しさを、子どもながら垣間見た気がした。
そして今、五十年前に私が受けた教育は、脈々と受け継がれ「新しい教育」として実践されている。私はこの頃を思いながら「新しい教育」を意識し、教員を務めてきた。
人は幸せになるために「学ぶ」。「自ら学ぶ力」で力強く生き抜く幸せな卒業生たちが、社会で雄飛していること。これこそが、私の三十八年間の意味なのかもしれない。
英語って、たのしい。英語が使えるって、武器になる。
2025年春、故郷沖縄へ帰ります。『英語ってたのしい』と感じてくれる生徒をこれからは故郷で増やしていきたいと思います。
2025年3月、38年間楽しんだ藤沢翔陵高校を定年退職します。
みなさん、たいへんお世話になりました。振り返れば、楽しい思い出がいっぱいあります。その思い出を英語に絞ってお伝えします。
1987年4月、普通科6クラス、商業科6クラス、全校生徒1500名を超える大規模男子校に奉職しました。
元気漲る男子生徒たちを前に不必要にも肩肘張って教室の扉を開ける。その瞬間が50分の授業の行方を決めるからだ。
『教師が元気なら、生徒も元気になる』『教師がたのしく教えれば、生徒もたのしく学ぶ』
先輩教師から学んだ。当時教室の扉を開ける時、テンションマックスでした。
英語が得意ではない生徒を前にいかにたのしく英語を学んでもらえるか?
元気いっぱいの生徒を前に悩んだ。どうすれば自分から進んでわからない単語の意味を辞書で調べるようになるか。英語の勉強の第一義(わからない単語があればすぐに調べる)ができるようになるか悩んだ。
考えついたのが 『主体得点制』。教科書の単語の意味を調べて、誰よりも速く黒板に意味を書くことで『主体点1点を獲得』 商業科の元気いっぱいの生徒にはヒットした。クラスが明るくなった。たのしかった。
1997年4月、普通科がA組からK組まで(学年11クラス440名)という大勢の生徒が普通科に入学。生徒たちに音読の大切さを伝えた。ペアを組んで教科書の音読を競って順位づけ。 ひとりではなかなか声に出して読もうとしない生徒もペアで交互に教科書を読む時は、相手に聞こえる声の大きさになる。普通科の生徒にはヒットした。たくさんの生徒たちが『使える英語練習の第一歩目となる音読』を練習し始めた。声に出して教科書を音読する生徒たちの様子を目にしてたのしかった。
英語はコミュニケーションのツールで実際に英語圏の人たちに伝わった時ほどたのしいことはない。そんなたのしさを多くの生徒たちに経験して欲しいという期待で、『カナダへのホームステイプログラム』を企画・立案し、実施した。創立初の海外との交流プログラムがスタートすることになった。
1997年夏、カナダへのホームステイプログラムのスタート。英語が苦手な桜井大樹が英語を喋った!たのしそうに英語でコミュ二ケーションをしようとする生徒の成長を見て嬉しかった。
『英語圏に行って英語を喋ってきた』それだけでこのプログラムを終わりにしたくなかった。帰国後、英語を使うことにテンションが高い間に学んだこと、たのしかったことの振り返りをさせたかった。それを目的に事後指導としてスピーチ練習をすることにした。全国商業高等学校協会主催全国高校生英語スピーチコンテスト神奈川県予選に出場した。この事後指導としてのスピーチコンテスト神奈川大会へ飯村孝太郎が参加して、カナダのたのしい体験とホストファミリーとの別れのつらさを堂々と披露し、3位に入賞した。
カナダのホームステイには参加しなかったが、飯村に影響されたクラスメイトの中村格彰は『音読部門』に参加、見事3位に入賞した。音読練習が少しずつ効果を発揮して結果を産んだ。
2000年夏、渡航先を親日的なオーストラリアへと変更。オーストラリアへのホームステイプログラムのスタート。より多くの生徒がホームステイプログラムに参加するように新たな手を加えた。 オーストラリアから留学生を招いた。同年代の高校生には言葉の壁はそれほど問題ではなかった。 なんとか知っている語彙を駆使してコミュニケーションを持とうとする 留学生は翔陵生にオーストラリア訛りの英語を、翔陵生は留学生に流行りの日本語を教える。 話題は学校生活や食生活の違いから彼女のつくり方へと弾んだ。微笑ましい国際交流の第一歩が見られた。
『英語を喋れるようになりたい』『英語が話せるとカッコいい』
教室からそんな声が聴こえてきた。 期待通り、留学生の効果は大きかった。
その後、より多くの生徒がホームステイに参加して、事後指導のスピーチコンテストに参加するようになった。英語で意見や思いを発信する練習が実を結んだ。
2007年、初の全国大会へ出場 岡本真也くん
2009年、2度目の全国大会出場で全国第3位 藤岡大くん
2011年、3度目の全国大会出場で悲願の全国優勝 糠山紘一くん
全国大会という大舞台でここまで 自信を持って自分の英語を披露した生徒たちの功績は『善行のいちばんの思い出であり、おもろまちでもブレずに指導したい英語教育のモデル』である。
世界を相手に大活躍する商社勤務の卒業生が業界誌の記事でこのように語っています。『英語を使って、今まで誰もやったことのない蟹輸入に成功しました。加工一貫で差別化を実現します。』
藤沢商業高校、藤沢翔陵高校の卒業生のみなさん、そしてこれから藤沢翔陵高校で学ぶみなさん、英語を武器に大活躍してください。
みなさんとのたのしい英語の思い出と卒業生の大活躍を胸に秘めて沖縄へ帰ることにします。教壇をおもろまちへと移して 『英語ってたのしい』『英語が使えるって武器になる』と感じる生徒を育てます。
では、スィーユー。
ありがとうございました。
講師の頃より長い期間を、ここ藤沢翔陵高等学校でお世話になりました。多くの先生方に助けて頂きながら、気づいたら自分の年齢が定年を迎える年になっていました。自分ではあまり実感がなく、10年前、20年前と運動能力以外は、あまり変化に気づいていませんでした。改めて、このような機会をいただいて、自分が60歳を迎えたことの実感が、少しわいてきました。人間としても、教員としても、まだまだ勉強をして、もっと多くの経験をしなければならないと思っています。この仕事を始めて36年になりますが、充実した他の職業にはない、多くの素晴らしい経験と体験をさせて頂きました。